後藤光尊の引退理由はなに?これまでの生涯年俸や成績も調べてみた。長い間お疲れ様でした

皆さん、こんにちは!

 

 

この季節になると、プロ野球選手は

引退を決断する選手も増えてきますね。

 

 

そしてまた今日、現役生活を引退する

決意をした選手がいました。

 

 

東北楽天ゴールデンイーグルス

後藤光尊選手です。

 

 

今回はこの後藤光尊選手について

いろいろと気になったので調べてみました!

 

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~後藤光尊選手について~

 

後藤 光尊(ごとう みつたか)

後藤光尊

引用元:http://almighty-nanj.ldblog.jp/

 

生年月日:1978年7月27日(満38歳)

出身地:秋田県南秋田郡八郎潟町

出身高校:秋田県立秋田高等学校

出身大学:法政大学(中退)

血液型:A型

身長:175cm

体重:75kg

ポジション:内野手、左翼手

投球打席:右投げ左打ち

所属球団:東北楽天ゴールデンイーグルス

背番号:4番

(2016年シーズン時)

 

 

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東北楽天ゴールデンイーグルスで

現役生活を終えた後藤選手ですが、

個人的には、楽天移籍前に在籍していた

オリックス・バファローズのほうが印象が

強かったですね。

 

 

オリックスでのセカンドを守っているという

印象がよくありましたが、2014年に楽天へ

移籍してからはレフトのポジションにつく

こともありましたしね。

 

 

 

そんな後藤選手は秋田高校時代に

3年生時にはエースとして春のセンバツ

出場経験ももっています。

 

 

この当時はまだポジションは

ピッチャーだったんですね!

 

 

ちなみに後藤選手は中学時代には

野球とラグビーの2足のわらじで活動をしていて、

ラグビーでは全国的な強豪校でもある

秋田工業高校から1年生からのレギュラーという

条件付きでスカウトを受けていたんです。

 

 

 

これはけっこう驚きでしたね。(笑)

 

 

そして、高校卒業後はスポーツ推薦により

法政大学へと進学していったのですが、

なんと大学で上級生からのいじめによって

留年してしまい、そのまま退学したしまうという

ことを経験していたつらい過去があったのです。

 

 

 

その後は、同じ高校のOBで川崎製鉄千葉

野球部の監督の誘いで入社、入部をしていき、

都市対抗野球での活躍もあり2001年のドラフト会議で

オリックス・ブルーウェーブ(当時)から10位指名

を受けてプロ野球選手へとなっていきました!

 

 

2001年当時のオリックスと言えば、

ちょうどイチロー選手がメジャーリーグへ

挑戦をした年になりますね、

 

 

プロ入り後は実力を徐々に伸ばしていき、

レギュラーとして活躍をしていましたね。

 

 

2014年からは楽天へと移籍していきましたが、

とうとう今シーズンで現役生活を終えることになりました。

 

 

引退の理由としては、トライアウトを受けたが

どこからも声がかからず、楽天の立花社長から

球団職員として働いてみないかとの誘いを受けて

決意したとのことでした。

 

 

 

~生涯年俸・成績について~

 

 

現役生活15年間ということになった

後藤選手でしたが、この15年間での

生涯年俸は約2億4000万円という

金額になっているようでした。

 

 

 

そして、選手としてのこれまでの成績は

 

通算

出場:1361試合

打率:2割6分9厘

本塁打:95本

打点:476打点

 

という成績になりました。

 

 

来シーズンからは球団職員として

チームを支えることになる後藤選手。

 

 

今後はサポート側として

頑張ってもらいたいですね!

 

 

そして、長い間本当にお疲れ様でした!

 

 

~最後まで読んでいただいてありがとうございます!~

 

この情報がお役に立てれば嬉しいです!

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それではまた!

 

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