中日ドラゴンズ山本昌!現役最年長50歳を迎える今シーズン!
さあ今回は、日本プロ野球界で
現役最年長投手である
中日ドラゴンズ、山本昌投手について
お話していきたいと思います。
山本昌投手、プロ入りまでの経緯
山本昌
本名:山本 昌広(やまもと まさひろ)
生年月日:1965年8月11日
出身地:神奈川県茅ヶ崎市(出生:東京都大田区)
出身校:日本大学藤沢高等学校
身長:188cm
体重:97kg
血液型:AB型
背番号:34
投球・打席:左投げ左打ち
プロ入り:1983年、ドラフト5位
山本昌投手が野球を始めたのは小学3年生の時でした。
中学3年生の夏に所属していた野球部が神奈川県大会に出場し、
そのことがきっかけで日本大学藤沢高等学校にスポーツ推薦で入学した。
しかし、残念ながら山本昌投手が在学中は甲子園出場は
果たすことができませんでした。
当時の監督の推薦で日本大学に入学する予定で、
山本昌投手本人も大学へ進学し教師を目指すつもりでしたが
1983年のドラフトで中日ドラゴンズから5位指名を受ける。
父親が中日ファンといったようなことも後押しとなり
見事に中日ドラゴンズ入団に到りました。
これまでの栄光
山本昌投手の1軍初登板となったのは、1986年10月16日。
その後はケガに悩まされ、更に中日ドラゴンズと業務提携をしていた
メジャーリーグ球団「ロサンゼルス・ドジャース」に野球交換留学として
山本昌投手を含め5人の若手選手がそのまま残ることとなった。
しかし実情としては中日ドラゴンズがドジャースとの交流関係を保つため
選手を派遣する必要があり、その年の戦力にならない選手が選ばれる
というものだった。(ドジャース傘下1Aのベロビーチ・ドジャースに所属)
そんな中、ドジャース世話役のアイク生原氏との出会いが転機となり、
厳しい指導により段々と頭角を現すようになった。
1988年当時の中日ドラゴンズが投手不足だったことと、
山本昌投手のビデオを見た当時の中日ドラゴンズ監督
星野仙一氏が予定より早く日本へ呼び戻す運びとなった。
そして1988年シーズンからは先発ローテーションの
一角を担うほどにまでなり、特に変化球では強力な
スクリューを武器としていました。
以後の記録としては、
タイトル
最多勝:3回(93年、94年、97年)
最優秀防御率:1回(93年)
最多奪三振:1回(97年)
表彰
沢村賞:1回(94年)
最優秀投手:2回(94年、97年)
ベストナイン:2回(94年、97年)
とこのように数々の栄光に輝き、
そして投手としての大偉業の節目である
200勝を2008年8月4日に対読売ジャイアンツ戦において
史上24人目の達成となりました。
ケガからの再起
しかし2009年からは不調とケガに悩まされ
思うような成績が出せない中で2011年に、
キャンプ中に右足首を痛めて引退の危機となりました。
それでも山本昌投手は手術して再び復活する決意を!
そのきっかけとなったのが、山本昌投手がたまたま新聞で見た
自分と同じケガから復活した選手の記事でした。
その選手というのが、実は野球選手ではなく
サッカーJリーグ、名古屋グランパスのGK楢崎正剛選手でした。
山本昌投手は楢崎選手に連絡をとり、病院を紹介してもらい
手術、リハビリを経て再起に至ったのです。
その結果、2014年には
NPB史上最年長試合出場記録、
NPB史上最年長勝利投手記録
を更新することとなりました。
様々な山本昌投手の実績を讃え引退後は
中日ドラゴンズは背番号「34」を永久欠番
とする予定だそうです。
そして今シーズンの2015年は
山本昌投手は50歳を迎えます!
率直に50歳で現役プロ野球選手って
とてもすごいなと思いました!
そんな山本昌投手には少しでも長く
現役を続けてほしいなと思いながら
これからも応援していきたいと思います!
最後まで読んでいただいて
ありがとうございました。
それではまた!
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