岡田武史チームの勝利にも不満足!オーナーには向いていない?

岡ちゃん」といえばサッカー元日本代表監督

として日本の危機を度々救ってきた救世主

とも呼べる「岡田武史」監督ですが、現在岡田監督

ではなくて岡田オーナーとして四国社会人リーグの

FC今治」を率いているのです。

 

 

今回はそのFC今治と共に

見ていきたいと思います!

 

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~岡田武史について~

 

岡田武史

岡田 武史(おかだ たけし)

生年月日:1956年8月25日(満58歳)

出身地:大阪府大阪市

身長:175cm

体重:70kg

(2015年4月5日時点)

 

 

実は最初はサッカーではなく

野球をしていました!

 

 

小学校時代には「ホークス子供会」という

野球チームでファーストとしてプレーしていました。

 

 

同じチームの1学年下には阪神タイガースで大活躍した

岡田彰布監督がいたのです!

 

 

この時はこの二人が野球の監督とサッカーの監督を

しているとは夢にも思ってなかったでしょう。(笑)

 

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岡田監督は中学校に進学すると野球部の

上下関係の厳しさに自分には向いていない

と判断して、当時メキシコオリンピックで

注目を浴びていたサッカーへと熱中

していきました。

 

 

 

岡田監督がサッカーを始めたのは

なんと中学生からだったんですね!

 

 

ちなみに岡田監督現役時代の

ポジションはDFでした。

 

 

高校は大阪の天王寺高校に進学して

サッカー部に所属していました。

 

 

そして高校3年生の時にはなんと

ユース代表に選ばれていました!

 

 

 

中学生からサッカーを始めたので

わずか5,6年程で代表まで登りつめた

ことになりますね!

もうこれってめちゃくちゃすごいことですよね。(笑)

 

 

そして大学は早稲田大学政治経済学部へと

進学をしました。

 

 

 

卒業後は岡田監督自身はマスコミ業界に

就職をしたかったようですが、その希望は

叶わず「古河電工」という会社に就職をしました。

 

 

 

そして古河電気工業サッカー部への入団をしました。

(後のJリーグのジェフユナイテッド千葉

 

 

 

岡田監督が選手として在籍していた1986年には

アジアクラブ選手権で優勝も果たしています!

 

 

 

1990年に現役を引退してからは

古河電気工業サッカー部のコーチ

へと就任をしました。

 

 

1995年には初めて日本代表の

コーチとして召集されました!

 

 

そして1997年10月にワールドカップフランス大会

の予選にて当時の日本代表監督の加茂周監督

更迭となってしまって、その代役として岡田監督が

初めて日本代表監督へとなりました!

 

 

その結果日本は見事ワールドカップフランス大会

本戦への出場をはたすこととなりました!

 

 

 

 

また2007年11月には当時の日本代表監督だった

イビチャ・オシム監督が急性脳梗塞により緊急入院

となってしまって監督として指揮がとれなくなって

しまった時に再び岡田監督が日本代表監督に就任しました!

 

 

 

そしてワールドカップ南アフリカ大会への

本戦出場を決めてベスト16という結果を残しました!

 

 

 

~FC今治のオーナーとして~

 

2014年11月から四国社会人リーグの

オーナーへと就任した岡田オーナーですが、

4月5日にR・VELHOとの開幕戦を迎えました。

 

 

 

結果は3-0でFC今治でしたが、岡田オーナーは

 

勝ったはよかったが、力はまだ発揮していない。

もう2~3点入れないと。監督よりイライラするね。

俺、オーナー向いていないかも。(笑)

 

と発言していました。(笑)

 

 

10年後にJ1での優勝争いを目標に掲げている

だけあって先を見据えての考えということでしょうか。

 

 

これからもFC今治どんどん強くなっていくのでしょうか?

今後どうなっていくのかが楽しみなところですね!

 

 

~最後まで読んでいただいてありがとうございます!~

 

この情報がお役に立てれば嬉しいです!

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それではまた!

 

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